その10~過去をふりかえる②~
こんにちは、こんばんは。
過去の傷をほじくろうキャンペーン第2弾(表現が悪い)
ということで、今回は中学生時代のことを書いていきます。
①学費が払えない
父親はパチンコ、タバコ、酒、やめない。
母親、タバコ、やめない。愚痴ってるだけで節約の仕方を考えない。
貧乏が続くわけですよ。
そして、ついに私の学校の学費が払えないという状況になりました。
すでに就職していた姉に助けてもらったり、ひどいときには学校の先生にたて替えていただいたこともありました。
遅れた学費の支払いは、私が封筒を持って学校の事務に届けるわけですが、すごくみじめでしたよ。
まわりの子たちは、普通に生活して、お小遣いをもらって、音楽やファッションを楽しんだり、塾に行ったり、部活を楽しんだり、友達と遊びに行ったり。
なんで自分だけ、こんなみじめな思いをしているんだろう。
そんな風に思うようになりました。
②重荷の共有
母親は思ったことは何でも口にします。
それが、自分ひとりの胸に抱えてほしかったと思う内容であっても。
あるとき、金融機関から借金をしていることを告げられました。
父親には内緒で、母親の独断でやったことでした。
普段から子供に愚痴を聞かせるくらいですから、一人で悩みを抱えるなんてできなかったんでしょうね。
だから、借金の事実を私に話して、重荷を背負わせたかったんだと思います。
中学生の私にお金をどうこうできませんし、母親としても別にどうこうしてほしかったわけじゃなくて、借金の事実を知らせることで、精神的な荷物を半分こしたかったんでしょう。
その後、私は借金取りからの電話に対応させられました。
借金を返せない人がやる上等手段ですね。子供に電話に出させて、自分は息をひそめる。
目の前にいる母親の顔色をうかがいながら、
「お母さんは家にいません。僕しかいません」
と嘘をつくんですよ。あの時の感情を表す言葉は、今だに見つからないです。
③修羅場・借金取りがくる
いつまでも借りたお金を返さない、しかも連絡がつかない。
当然、借金を回収するため、人がくるわけですよ。
休日の日中、母親の内職を手伝っていた時でした。
借金取りが来ました。
「いつまでも逃げられると思うなや。80万、耳を揃えてとっとと返して」
借金取りの男性が言い放ったその言葉は、今でも忘れはしません。
両親ともにいましたが、当の母親はだんまりなので、父親が対応しました。
当然すぐに返すことなんてできないので、月々かならず返すと念書を書いて、帰ってもらいました。
そのあとは、当然修羅場です。
好き勝手遊んでいた父親にも問題があるとはいえ、借金なんて寝耳に水ですからね。
姉も呼んで、これからどうしていくか話し合いをしました。
④借金完済
それから数ヵ月後でした。
偶然にもまとまったお金が入り(悪事を働いたわけじゃないですよ)、借金を返すことができました。
借金がなくなっただけで、生活が大きく変わるわけではないですが、それでも、もう借金取りの電話にでなくていい。
ため息がでました。
でも、ため息と一緒に感情も出て行ってしまったのか、それから高校まで、ほぼ感情というものを感じることがなくなりました。
その11につづく。