その9~過去をふりかえる①~
こんにちは、こんばんは。
以前の記事で、ちらっと家族の問題に触れました。
今回から何回かに分けて、もう少し掘り下げた話・・・子供時代を振り返り、どういう育ち方をしたのか、どういう育てられ方をしたのか、過去どんな出来事があったのかについて書いていきたいと思います。
だいぶ暗い話になっていくと思います。苦笑
今回は、小学生時代のことを振り返ろうかと思います。
①自分のこと。
まず、非常に物覚えが悪い。
今振り返ると、小学生のころは発達障害だったんじゃないかってくらいに物事を理解するのに問題のある子どもでした。
体育にしても勉強にしても、周りが一度教わってすっとできることが、私はすぐできなかったです。できるようになったとしても、できるまでにすごく時間がかかる。
小学2年のとき、クラス全員が九九の暗唱をできるようになるまで、一人一人先生の席まで行って「1×1=1、1×2=2、…」って言わされたんです。
私はビリっけつ。みんなが「まだできないの?」という視線を投げかける中で、緊張しながらなんとか暗唱したのを覚えています。
小学3年の図工の時間では、出来上がった作品を先生に見せるように、と言われた言葉の意味を理解しておらず、見せに行かなかったことをクラス全員の前で叱られました。
次に、友達がいない。
内弁慶で、外では極力話さない、目立たない。
話しかけられたら話すけど、自分からは輪に入らない。
だから、友達なんてできませんでした。
スポーツが苦手だったことも、一因かもしれません。
特に男の子はそうだと思いますが、子供同士が仲良くなるのって、一緒にサッカーしたとか野球したとか、スポーツがきっかけだったと思うんです。
でも、私は一緒のチームになったところで邪魔にしかならないし、それなら最初から遠慮しておこうっていう考えだったので、仲良くなるきっかけがありませんでした。
こんな感じで、全く楽しくない学校生活だったんですが、我ながらよく不登校にならなかったなと思います(笑)
②親のこと。
どちらもバブル世代。
お金はたくさんあったのに、馬鹿みたいに使いまくって、貧乏になったアホの典型です。で、自分大好き。
これで情報全部網羅した気がするんですが、もうちょっと書いてきます。
父親はパチンコ好きで、給料が出たら小遣いがなくなるまで毎日通います。
また、酒も好きで、水やお茶の代わりにビールや焼酎を飲みまくってます。20リットルの焼酎3本が1カ月もちません。
子供のころに遊んでもらった記憶はありません。
母親は元スナックのママで、働いてたころは相当稼いでいたみたいですが、結局ほとんど父親のパチンコ代に消えて、当時の稼ぎは一円も残っていません。
でも、当時の感覚を引き摺っていて、貧乏になっても節約ができず、無駄と思える買い物をするので(高いブランドものを買っているわけではないのですが、ちょこちょこ無駄遣いしている)、貧乏から抜け出せない。
そして過保護。高齢出産で私を生んだからという理由もあるでしょうが、どこに行くにも自分がついていって、自分の目で行動を見ていないと気が済まない、子供を縛り付けるタイプの過保護です。
③貧乏生活
母親がスナック勤めをしているうちは、まだお金に苦労はしていなかったのですが、私が小学校低学年の頃に仕事を辞めてから、一気に貧乏になった覚えがあります。
父親の酒とパチンコは続いていたし、両親ともヘビースモーカーで、1日でそれぞれ2箱なくなるくらい吸ってましたからね。
稼ぎが減ったのに、以前と同じだけ消費してたら、そりゃ貧乏になりますよね(笑)
そんな中でも、食べるものはきちんと用意してくれたので、その点は感謝しています。
④愚痴のはけ口になる
貧乏になってからというもの、今に至るまで、20年以上にわたって母親の愚痴を聞き続けています。
他の旦那はもらった給料を全部わたして、そこから自分の小遣いをもらうのに、まず自分の小遣いを抜くなんてどうかしてる。
(父親は給料が手渡して、自分の小遣いを好きなだけ抜いてから母親に渡していた)
これまで自分が稼いだ金は、旦那に全部パチンコに使われた。その金を貯めておけば、今頃は家の1軒くらい建てられてたのに。
こんな旦那と一緒になったばっかりに、こんなに金に苦労させられてる。本当に失敗した。なんでこんな苦労させられなきゃいけないんだろう。
・・・こういった内容の愚痴を、小学生の時分からずっと聞かされてきました。
学校から帰ってから、父親が帰宅するまでの間、母親は「あー頭痛い頭痛い」と目の前でアピールしていました。タバコをふかしながら。
お金の問題なんて、小学生に解決できますか?
夫婦の問題なんて、小学生に解決できますか?
できませんよね。ただ、はけ口になって、ストレスをぶつけられる日々でした。
殴る蹴るよりたちが悪いかもしれません。
暴力を振るわれれば、自動相談所が動いて保護されれば、まだ逃げ場があります。
でも、精神的なストレスをぶつけられるのって、周囲は気づきません。
身体に痣ができるわけじゃないから。誰も助けてくれません。
私は学校は好きじゃなかったけど、家も好きじゃなかった。
だから、不登校にすらなれなかったんです。家は避難所じゃなかったから。
⑤言い訳に使われる存在
うちの場合、夫婦問題と金銭問題はセットなので、ぶっちゃけ離婚すれば両方解決します。
だから、ある時子供ながらに聞いてみました。
そんなに苦労してるなら、離婚したら?って。
そうしたら、あるあるかもしれませんが、こう言われました。
「離婚したいけど、お前のために我慢してる」
母親は年齢的にも働き口がないし、経済的に父親に頼らざるを得ないのは分かります。
でも、無理して一緒にいて、子供に愚痴を言うのが、子供のためでしょうか?
少なくとも、私はそうは思えません。
愚痴を言われ、言い訳の材料にされる。
何もできない私には、もうこの状況にひたすら耐えるしか選択肢が残されていませんでした。
⑥自分が一番、子供は二番
口では、「子供が一番」と言っています。自分の命より大切な存在だと。
たぶん、嘘はついてないです。本人としたら、本気でそう言っていると思います。
でも、行動が伴ってないんです。
私は昔から喘息もちで、ひどいときには息が吸えなくなって、呼吸困難で命を落としかけたこともあります。
小学生のときは、汗をかいて冷えて、風邪をひいて、そこから喘息に発展してしまうことが結構あり、学校を休む日も頻繁でした。
そんな持病を抱えた私の前で、両親して毎日タバコをふかしていました。
いくら昔とはいえ、タバコが肺に悪い程度のことは常識だし、受動喫煙という言葉もメディアに取り上げられていたし、本当に子どもを思うのであれば、喘息を患っている子供を前にしてタバコを吸ったりするでしょうか。
ある時、タバコの煙に耐えられず、タバコをやめてほしいと親に言ったことがあります。その時の返事は、
「タバコだけが唯一の楽しみなんだから、これはやめられない」
でした。
子供の命より、自分の楽しみをとったわけです。
口ではいくら子供が一番と言っていても、自分を優先させている以上は自分が一番と考えているとしか思えませんね。
別に、自分が一番でもいいと思うんです。
でも、それなら「子供が一番」なんて言わないで、自分が一番なんだと認めてほしいです。
こういった生活を送ったことが、その後の人格形成に大きく影響したんだろうなあ、と改めて思ったところで、今回は終わろうと思います。
その10につづく。