自分がうつになりまして。

うつ病になってしまった30代男のリアルな話を書いていきます。

その6~コミュニケーションの悩み~

こんにちは、こんばんは。

 

今回は、昔からずっと悩んでいるコミュニケーションの話をしたいと思います。

 

初診時に受けたストレスチェックの判定でも出ていたし、実際今まで生きていて何度も感じていたことですが、私はコミュニケーションが苦手で、コミュニケーションのことで悩んだり後悔したりしてストレスを感じたことが何度もあります。

 

悩みだしたのは高校時代からだったと思います。

学生時代、私は交友関係を築けず、ほとんどの時間を一人で過ごしていました。

 

一人でいると、自然と周りを観察するようになります。

会話を聞いていると、周りはみんな自然に会話をしていることに気づきました。

 

私が誰かと会話をするとき、こんなことを考えてしまっています。

・なにか変なこと言ってしまってないかな?

・相手の発言に対して、自分はなんと答えたほうがいいんだろう?

 

その結果、不自然な会話になってしまって、あとで「あのときこう言えばよかった」と後悔してしまうのが癖になっていました。

 

こういったコミュニケーションの問題は、人間関係にも影響します。

会話にならない人は相手にしてもらえないし、自分から声をかけようにも、何と言って声をかけたらいいかわからない。

 

大人になっても改善せず、人間関係に悩み続けた結果、ストレスが蓄積されていき、そんな中での過剰労働と精神的にくる出来事が重なって、ついにうつ病になってしまったんですね。

 

うつ病になったトリガーは職場なのは間違いないけれど、そもそもの根源をたどると、コミュニケーションに問題があるんじゃないか。

そう考えるようになりました。

 

 

そこで、クリニックの先生の勧めもあって、心理士によるカウンセリングも一緒に行うことになります。

その話は次回することにして、今回はこの辺で終わりたいと思います。

 

 

その7につづく。

その5~休職中の生活②~

こんにちは、こんばんは。

 

前回に引き続き、休職中どういう生活をしていたかを書いていこうと思います。

前回は休職して最初の1~2ヵ月くらいの話で、今回はその後の話になります。

 

①貯金が減っていく

休職したあとも定期券は払い戻ししていなかったので、しばらくは定期券を使って電車移動できていました。

しかし、とうとう定期券が切れてしまいました。

 

その状態になっても、私は家ではなく外にいる選択をしました

普通に電車賃をはらって、移動して、ネカフェとかに行ってました。

 

気づくと、貯金がガンガン減ってました。当然ですよね汗

 

でも、ネカフェ代なんて、まだかわいいものなんです。どこにお金かかってたかというと、電車代です。

JRならせいぜい数百円で済むだろうけど、田舎のローカル線の運賃ってべらぼーに高いんですよ、ほんと。

片道だけで1,000円超えちゃったり。

毎日数千円単位で使ってたら、そりゃ貯金なくなっていきますわ。

 

さすがに、こんな生活は続けられないな・・・と思うようになりました。

 

 

②すばらしき図書館

そんな私に救いの手を差し伸べてくれたのが、図書館でした。

もともと、医者からも「ずっと家にいるんじゃなくて、短い時間でもいいから外を散歩して、できれば図書館で少しの間過ごしてもらえるといい」と言われていました。

(家にはずっといなかったんですが笑)

 

普段は行く機会がないし、子供と老人が集まる場所みたいなイメージがあったので、最初はあまり気が向かなかったのですが、行ってみることにしました。

幸い、自宅の近所に図書館があって、移動費をかけずに行くことができました。

 

行ってみたら・・・なんということでしょう。

オアシスではないですか!!

何が素晴らしいかを箇条書きしてみます。

 

温度管理がされている!!!

・(当然だが)本がたくさんある!!!

・(場所によるが)飲食スペースも用意されている!!!

無料で利用できる!!!

 

私がうつ病真っ盛りになったのは夏なので、外でぼーっとしてたら汗だくになるだけじゃ済みません。

(自分が死ぬだけなら気にしませんが、自分が死んで腐敗した遺体を見つけて処理する人のことを考えたらいたたまれない・・・)

 

だから、屋内で過ごす必要がありますが、屋内で過ごそうと思ったら、どうしたってお金がかかります

ショッピングモールならベンチがたくさん置いてありますが、ずっと占領するわけにもいかないし、人目もありますし。

 

図書館はそんな悩みをすべて解決してくれる場所だったのです。

夏は涼しくて、冬は暖かい。

何時間過ごしても構わないし、お金もかからない。

本がたくさん置いてあって、暇になることがない。ずっと座っていられる。

ネカフェで漫画を読んでいたときは、突然飽きがきたんですが、不思議なことに活字本だと飽きがこない(笑)

 

お腹がすいたら、飲食スペースに移動して食べられるので、何か持参していけば外に出る必要もない。

精神は病んでいてもお腹はすくんですね(汗)

静かな図書館のなかで、お腹が鳴って恥ずかしい思いをしなくてよかったです(笑)

 

図書館で過ごすようになって、40冊以上は読みましたね。

学生のときより読みました(笑)

 

 

図書館の素晴らしさを知ってからというもの、復職までの間、図書館で1日過ごすことになります。

 本当にお世話になりました。

 

そのとき置いてあった全巻を読んだ「心霊探偵八雲」の最新刊が待ち遠しいです。

 

 

その6に続く。

その4~休職中の生活①~

こんにちは、こんばんは。

 

今回はうつ病になって休職してる間、どういう生活をしていたかを書こうと思います。

 

①休職中は家にいなかった

うつ病を経験した大勢の人は、「ん?!」と思いましたよね(汗)

だって、休職したら大体の人は家に引きこもりそうなものだもん。

 

まず、私は実家暮らしです。

以前は一人暮らししていたのですが、両親が高齢で、お世辞にも裕福ではないため、一緒に暮らして生活費を私の給料から賄うことにしたためです。

ちなみに住まいは田舎で、職場は東京

毎日1時間半かけて通ってました。毎日旅行しているような気分ですね。

 

さて、普段東京まで出稼ぎ(表現が古い)に行っている息子が、突然家にいるようになったら、どうしたどうしたとなりますね。

体調崩して休職中だと言えればよかったのですが、言えませんでした

実は、休職前、ボロボロになりながら必死で仕事をしていたとき、腹痛などの症状が現れていました。でも、親には言えませんでした。

親の前では、いつも通りの姿を無理に演じて、いつも通り生活していました。

 

親に心配かけたくなかったとか、綺麗ごとは言いません。

昔者だから精神疾患に理解がないと思っているからです。

つまり、信用していなかったからです。

親との関係性については、いつかどこかで触れるとして、話を進めます。

 

精神は蝕まれいても、体が動かないわけではなかったので、出歩くぐらいはできました。休職しても、いつもと同じように起きて、いつもと同じ電車に乗って、地元から離れていました。

家と会社の間くらいにある、そこそこ栄えていて田舎じゃないけど、都会でもないような街の駅で降りて、ふらふらしていました。

 

ちょうど夏の時期で、8時間以上外にいるわけにもいかないし、かといってカフェにずっといるのもしんどい。

私はネットカフェにいりびたるようになりました。

平日限定の、最大10時間くらいいられる定額プランがあって、それを利用していました。

 

お金はかかるけれど、それまでの貯金があったし、しばらくは定期券が使えたし、傷病手当ももらえたので、こんな生活ができたんですね。

※傷病手当は休職中の生活を守るためのものであって、遊ぶためのものではないのは重々承知しています

 

②苦痛な自由時間

何もしなくてよくなった。

でもそれは、何もすることがなくなったということ。

自分の存在価値は、どこにあるんだろう

 

仕事をしていたときは、ストレスで不調が現れていました。

休職して、その症状はなくなりました。

でも、ネガティブな思考は、休職前よりひどくなりました。

 

休職してしばらくは、これまで頑張ったご褒美くらいに考えて、漫画を読んだり、ゲームをして過ごしていました。

でも、飽きるんです。

まだまだ読んでない漫画はたくさんある。

ゲームだって、やったことがないものを買えば、RPGなら100時間くらいやれる。中古で安く買えば、出費もいたくない。

でも、そんな気にならなかった。

 

医者は「今は休むのが仕事だ」と言う。

自分も、自分にそう言い聞かせて、好きなだけ遊んだ。よく寝た。

 

むなしかったです。

消費するだけしかできない、役立たずなんだって思いました

何度も死にたいって思いました

 

仕事をしても、病む。

仕事をしなくても、病む。

・・・思考回路が悪循環の毎日でした。つらかったです。

 

会社から逃げ出し、親を欺き、自由な時間を手にしたくせに。

生まれてきたことが間違いだったんだ。

消えたい、消えたい、消えたい

 

自分を否定する考えでいっぱいでした。

 

 

今回はすごくネガティブな話ばかりになってしまいました。

ですが、これがその時感じていた正直な気持ちです。

 

 

その5につづく。

その3~いざ行かんメンタルクリニック~

こんにちは、こんばんは。

 

うつ病になっちゃったからには、医者にかからねば仕方ありませんということで、今回は、メンタルクリニックに受診した話をしようと思います。

 

①受診・初回

私が行ったところだけかもしれないですが、基本的には事前予約が必要で、突然クリニックにいっても受け付けてくれない可能性があります。

うつは「こころの風邪」とは言いますが、風邪を引いたときみたいに突然行っても対応してはもらえないみたいです。予約してから行きましょう。

 

初回受診では、こんなことをやりました。

医者の診察

質問用紙記入(4択から当てはまるものを1つ答えるやつ)

木の絵を描く

血液検査

 

医者の診察では、内科と同じで何があったか、どういう症状が出ているかを聞かれます。症状によって、先生が何の薬を処方するかを決めます。眠れてるなら、睡眠導入剤を処方する必要ないですもんね。

 

診察が終わった後、受付の人がやってきて、何枚か紙を渡されました。

質問項目がびっしり載った質問用紙と、白紙の紙が1枚。

白紙の紙の方には、「木の絵を描いてください」とだけ言われて絵を描きます。海外の犯罪捜査ドキュメンタリーとかで、犯人に絵を描かせるシーンありますもんね。心理学に基づいたチェックをしてるんだと思います。

 

最後に、血液検査。内臓(肝臓だか腎臓だか忘れたけど)が悪いと、場合によっては薬を処方できないらしい。

 

それらのことをやって、ようやく終了。清算と次回予約をして帰ると。

 

②受診・2回目

初診から1週間後、2回目の受診をしました。

問診で、初診のときのアンケートや木の絵、血液検査の結果を聞きました。あとはまあ、1週間で大きく何かが変わるわけもなく、引き続き様子を見ましょうということで先生からの話は終わったと思います。

 

逆に私の方から先生にお願いをして、診断書を書いてもらいました。

この時にはもう休職するということで話が進んでいましたが、念のためドクターが休職の必要性を認めたという証拠を渡したかったためです。

診断書はその日のうちに書いてもらい(別料金です)、受付で受け取りました。

 

血液検査の結果は問題なかったので、この日から薬を処方してもらうことに。

もちろん薬をもらうのは薬局なので、別途薬代がかかります。

あとは、2週間おきに受診という感じでした。

 

③受診・何回目だか忘れた

何回か通ったあと、先生から心理カウンセラーによるカウンセリングを進められました。

私はストレスチェックにおいて、対人コミュニケーションで強いストレスを感じるという判定が出ていて、これを放置しておくと、たとえ改善したとしても、社会復帰したらまた同じことが繰り返される可能性が大きいとの判断でした。

 

私自身、コミュニケーションについては悩みを抱えていたこともあり、次回から診察に加えてカウンセリングも行うことにしました。

30分で3000円超えるから痛い出費だけども汗

※カウンセリングは保険適応外

 

かくして、私が生まれ変わるための闘いの日々が幕を開けたのである(大げさ)

 

今回の話はここまで。

 

その4につづく。

その2~自分が壊れた日~

こんにちは、こんばんは。

2回目の投稿でございます。
 
今回は、私の精神が限界を迎えたときの話を書いていこうと思います。
 
 
①驚きの面接突破&入社
 
前の記事でも書いたように、今の職業はシステムエンジニアです。
頭に「なんちゃって」がつきますが(笑)
新卒で何を思ったかIT企業に就職してしまい、プログラマーとしての会社員生活をスタートしてしまいました。
その後、何度か転職し、徐々にITから離れた仕事をしていたのですが、派遣社員契約社員が関の山で、とても正社員で働ける状況ではありませんでした。
 
そんな折に出会ったのが、今の会社です。
SEプログラマーの求人だし、しかも過去にやったことのないweb系のシステム開発とあって、不安しかなかったものの・・・
「紹介予定派遣」だったし、紹介されたのに「なんとなくイヤ」みたいな理由じゃ断りにくいし、どうせ受けたところで不合格だろうしな~と思いながらも、流されて面接を受けました。
 
そしたら、なんと合格。採用されてしまいました。
 
「自分で勉強してやってくれそうな気がする」と社長が成長性を見込んでくれたみたいでした。
数カ月後には正社員登用もしていただき、正社員として働き始めました。
 
 
②お荷物からの急成長
 
入社して半年は、やはり使いものにならなかったです(汗)
プログラムは分かんないし、業務要件は分かんないし、資料作りは下手だし。
嫌味も言われました。
 
それでも、がむしゃらに続けること半年。
納期の短い案件をいくつもこなしていった結果、しっかりと成果を出せるようになりました。
社長はじめ先輩方も急成長していると認めてくれました。
 
 
③肉体的負担の増加
 
成長できて結果が出せるようになったのはいいものの、
その後は狂ったように案件を振られ。
土日祝出勤は当たり前、残業時間が100時間になろうかという月もあり。
肉体的に疲れがたまっていきました。
 
それでも、新卒時代と違って結果を出せていたし、その分給料も増えていたので、
まだ何とか頑張れていました。
 
 
④精神的負担の増加
 
ところが、ある一つの開発案件を抱えたころから、精神的な負担がグンと増えました。
ここで、社内の人間からも、顧客からも、精神的に痛めつけられました
 
ちょうどその頃は会社としてこれから売り出すパッケージ商品を開発していたころで、
その担当案件をパッケージ販売第一号にすることになりました。
そうなると、初めての事業ですから、社内の運用体制もそれまでと変わるわけで、
単刀直入にいえば仕事の押し付け合いが始まりました。
 
本来は他の部署でやるべき仕事まで、私が押し付けられる形になり、
いつもに増して仕事量が増えました。
休日出勤はもちろん、徹夜もしました
 
さらに、この案件では顧客からもチクチク言われ続けました
「打ち合わせの時と話が違う」とか。
社内で共有されていなかった要件を、頑張って開発しようとヒアリングしていたら
「ウチに責任ないだろ」とか。
 
いや、おっしゃることは正論だと思うんです。
打ち合わせで何か不用意な発言したのであれば、悪いのは弊社だし、
打ち合わせで伝えた要望を共有できていなかったのも、悪いのは弊社です。
 
ただ、言い訳させてもらうと、私はその打ち合わせに出ていないんです。
私の会社の別の人が打ち合わせに行って、ヒアリングして、
ヒアリングした内容を私に伝えてもらって、開発しているんです。
で、ヒアリングした内容を伝えるときに、漏れがあったんです。
 
こんなことは言いたくないんですけど、顧客が怒っているポイントについて、
私が何か失敗したわけじゃないんです。
でも、開発段階になって、顧客と電話で話していたのは私だから、顧客は
私に文句を言うんです。
 
顧客の主張は正論でも、自分の責任じゃないことばかり責められたうえ、
打ち合わせに行ってた社内の人たちは何も対応してくれないので
ものすごくストレスでした。
 
 
⑤精神の限界を超えさせた一言
 
入社一年目から、ずっと一緒に開発をしてきた上司の一言で、ギリギリでもっていた精神が限界を超えました。
 
顧客といくら電話しても、こちらの話を聞いてくれないと相談したときの一言。
うまく落としどころを見つけられない私の話し方に問題があると指摘した上で、
そんなんならオレが担当やってたほうがよかった
 
たった、これだけです。
この一言で、それまでの頑張りを全部否定された気分になりました。
土日も関係なく、終電まで働いて、徹夜までして自分の時間や精神を削ったのは何だったのか
 
この日を境に、体調に変化が出ました
それまでは、疲れがとれないな・・・程度で済んでいたものが、こんな症状が出始めました。
 
頭の中にモヤがはったような状態になり、ぼーっとして考えがまとまらない
脇腹が痛む
電話のディスプレイに顧客の番号が表示されるだけで吐き気がする
食事がのどを通らない
毎日おなかを下す
 
この状態でもなんとか働き続け、無事リリースしました。
しかし、もう限界だと感じ、部長に相談しました。退職したいと。
 
部長からは、退職はしてほしくないので、休職をするか、顧客から連絡がいかないように自宅で働くかを提案されました。
 
この時の私はまともに働ける状態ではなかったので、休職を選択しました。
それから2週間ほど、抱えていた案件を引き継いで、私は休職に入りました。
 
 
徐々にストレスが溜まっていって、ある時のほんの些細な出来事がきっかけで、
まるでコップに入れた水が溢れるように、精神を壊したんですね。
 
うつ病は次第に、そして突然に
もし、これを読んでいる方で、ストレスを抱えていて、何らかの不調が表に出ているのであれば、メンタルクリニックの受診を考えたほうがいいです。
報われない頑張りは、自分のためにはならないです。
経験者は語る。
 
その3に続く。

その1~自己紹介~

こんにちは、こんばんは。
しおん(仮名)と申します。
30代前半の男でございます。ちなみにゲイです。
しょっぱなから爆弾投下するような自己紹介になりましたが、タイトルにありますように、うつ病になっちゃった私の話を書いていこうというのがテーマとなります。
 
いろいろあってうつ病になり、
休職し、
メンタルクリニックに通って治療を続けた結果、
病状が次第に良くなり、
なんとか職場復帰を果たした(←今ココ)
私のことを、気ままに書いていこうと思います。
 
まず、うつになった話の前に、私の過去について書いていきます。
 
①子供のころの話
 
私は昔から他の子と比べて物覚えが悪いというか、頭の回転が遅いというか、表現がアレですが「知恵遅れ」のような感じでした。
小学校3年生くらいまでは、先生の言っている言葉も意図も分からなくて、自分がどうすればいいのか分からなくて、毎回怒られていました。いわゆる落ちこぼれですね(笑)
ですが、4年生になったくらいから、ようやく周りについていけるようになりました。
 
高学年になってくると、なぜか勉強ができるようになっていきました(社会以外)。
運動はからきしダメでしたけど笑
 
中学・高校も、勉強の成績は(社会以外)良く、小学校低学年のときとは真逆で「模範生」扱いされていました。
ただ、私の本音を言えば、決して頭がよかったわけではないんです。
 
何したかというと、ただ必死で丸暗記しただけなんですね。
それも、読んだだけじゃ覚えられないから、何度も何度も手で書いて。
英単語も、漢字も、理科用語も、数式も。
何度も何度も、ひとさし指と中指にタコができても、書いて覚えました。
 
でもこれって、効率が悪い上に、定着もしないんです。
テストが終わったら、な~んにも覚えてないんですもの(笑)
結局、指が覚えているだけで、頭では理解してないんですね(汗)
 
 
②大学生のころの話
 
一言でいえば、無気力状態でしたね(笑)
ただ、なんとなく生きている。
目標もないし、ただ「大学卒」という肩書だけのために大学いってた感じ。
 
詐欺にも遭いました
お年頃だから、ネットでアダルトなサイトをのぞいたりしたわけだけれども、
それからしばらく経って電話がかかってきて、利用料を請求されるってやつ。
今考えれば、明らかに詐欺なんですけど、当時は全く知識がなく、言われるがままに払ってしまいました。
世の中不信になりましたね(笑)
 
また、裏切りにも遭いました。
当時はやっていたSNSで出会って友人になった人にお金を貸したのですが、戻ってこないどころか、最後は「お前は金が好きなんだな!ボケ!」と暴言を吐かれて、一方的に切られました。
これがきっかけで人間不信にもなり、世の中すべて敵と思うようになりました。
 
 
③就職するも、使い物にならずクビ
 
私が就職活動を始めたころは、リーマンショックの影響で売り手側にとっては厳しい状況でした。
さらに、知識不足や交友関係の薄さがたたり、就職活動開始に後れをとってしまいました。
私が就職活動を始めたころには、大企業のほとんどはリクルート活動が終わってしまっていたんですね。
 
名の知れぬ中小企業(失礼)しか受け付けておらず、ただでさえ採用枠を絞っている状況下で、さらに厳しい戦いに身を投じるしかない状態でした。
アホです(笑)
 
それでも、なんとかかんとか内定をもぎ取り、就職活動を終了しました。
就職先はIT企業、職種はプログラマーです。
もう、なんかお察しって感じですよね(笑)
パソコンもまともに使えなかったくせに、IT企業に行くなんて(笑)
会社もよくこんなの採用したなと思いますけど。
 
まあ、こんな奴なので、入社したとて使い物にならず、結果も残せず。
入社後の大規模な人員整理でリストラ対象となり、そこから転職人生を歩むこととなります。
 
 
書いてて悲しくなる人生ですね(笑)
今回はこのあたりで終わって、次回からうつになったころの話をいろいろ書いていこうと思います。
 
その2に続く。